① はじめに:親はまだ元気、だからこそ…
💬「うちの親はまだまだ元気だから、大丈夫」
💬「少し足腰が弱ってきたようだけど、介護サービスを使うほどではない」
💬「本当に困ったら、本人が自分で言ってくるはず」
──そんなふうに思ったこと、ありませんか?
年齢を重ねた親が、今まで当たり前にできていたことを、少しずつ手放していく。
「いずれ支援が必要になるかもしれない。でも、それは“もう少し先”の話」
そう、私たち家族も思い込んでいました。
義父が亡くなってから、義母はずっと一人暮らし。👵
寂しい思いをさせているかもしれないけれど、
夏休みやお正月には毎年遊びに行っていたし、連絡も頻繁に取り合っていました。
訪れるたび、部屋は整っていて、食事もきちんと用意されている。🍚
💬「なにも困ってないよ」
そう笑う義母は、いつもどおりの穏やかな様子でした。
「一人暮らしでも不安はない」「まだまだ大丈夫」
私たちは、そう信じて疑いませんでした。
でも──
ある日、私たちは思い知ることになります。
“元気そうに見える”ことと、実際の生活の中身は、まったく別物だったのだと。
② 義母の生活:知らないうちに始まっていた“固定化”
義母は、几帳面で料理好きな人でした。
私たちが遊びに行くときには、いつも美味しいご飯を用意してくれて、
孫たちのためにお菓子やヨーグルトも買っておいてくれました。🍮
そんな義母ですが、自分の食事だけは私たちと別の時間に、さっと済ませてしまうことが多くありました。
特にパンが好きなようで──
💬「お母さんは昔からパンが好きだね」
💬「そうなのよ」
そんなやりとりを、夫と義母が笑いながらしていたのをよく覚えています。
だから、私も「そういうものなんだろうな」と思っていたんです。
でもある時、ふと気づいたのです。
「あれ?いつも同じものを食べてる?」
朝は食パンにジャムとトマト。🍅
昼はあんパンと牛乳。🥛
夜はご飯にレトルトおでん。🍢
どれも簡単で、手軽。
たまになら、それもアリです。
でも──これが、1週間ずっと続いていたんです。
義母の暮らす田舎は、近くのスーパーへ行くにも小さな山を上り下りしなければなりません。
車の運転はできず、買い物は週に1回。しかも天気が良い日だけ。
自然と、パンやレトルトなどの日持ちのする物ばかりを選ぶようになっていったのでしょう。
「お惣菜は食べきれないから、買わない」
「安いもの、好きなものを少しだけ」
そんなふうにしているうちに、食生活が固定されてしまったのだと思います。
私は、栄養が偏りすぎていないか不安になりました。
でも──この頃には、認知症の症状が少しずつ進行していて、私たちの心配や提案は届かなくなっていました。
「食材の配達を頼んでみない?」とすすめても、
「いらない」と頑なに拒否。
「宅食はどう?」と聞くと、
「そんなもの頼むほど弱ってない」と、怒られてしまったのです。
③ 熱中症で倒れ、分かった“栄養失調”
夫はなんとか義母のためにと、
食材の配送サービスや宅配弁当のほか、
地域コミュニティへの参加や介護サービスの利用も提案しました。
でも義母にとって私たちは、
「突然やってきてはあれこれ提案して帰っていく、やっかいな息子夫婦」に映ったのかもしれません。
どんな提案も、すべて断られてしまいました。
「余計なことはしないでちょうだい」
それが、義母に言われたはっきりとした言葉でした。
新しいことは一切受け入れられなくなっていたようです。
宅配弁当は便利だよ、美味しいごはんが届くんだよと伝えても、
義母にとっては未経験のことで、
考えるだけでも心の負担になってしまうようでした。
私たちは戸惑いました。
何が正解か分からず、結局「何もしない」という選択をしてしまったのです。
もしかしたら、私たちのお節介だったのかもしれない…。
そう話し合って、少し距離を置くことにしました。
そんなある夏の日、義母が熱中症で倒れました。
たまたま義理の姉がお墓参りで立ち寄った際、
義母は室内で意識が朦朧とした状態だったそうです。
冷蔵庫にあったのは、イチゴジャムの瓶とレトルトのおでん。
食卓の上には、食パンが一枚だけ。
あの“固定化された食生活”を、義母はずっと続けていたのでした。
病院での診断は「熱中症」と「栄養失調」。
偏った食生活が長く続いたことで、必要な栄養が摂れていなかったのです。
体力が落ちたところに猛暑が重なり、義母の身体は抵抗力を失っていたのでした。
あんなにしっかりしていた義母が…。
入院をきっかけに、認知症は一気に進行。
退院後は施設に入所することになり、結局、自宅に戻ることはありませんでした。
💭「きちんと栄養を摂れていれば、熱中症は防げたのでは…」
💭「熱中症にならなければ、入院もしなかったかも…」
💭「入院がなければ、もっと長く、自宅で暮らせたかもしれないのに…」
そんな後悔ばかりが、あとに残りました。
義母は以前から、
💬「買い物が大変でね」
💬「一人暮らしだから、簡単な食事で十分なの」
と、繰り返していたんです。
あの時、宅食を“試してみるだけ”でもできていたら──
あの頃なら、義母もしっかりしていて、
新しいことにも向き合う余力があったかもしれません。
たとえ上手くいかなくても、
一緒に話し合って試してみた、という記憶があれば、
あんなにも頑なにはならなかったのでは…と今でも思うのです。
「もっと早く、宅食を始めていれば…」
私たち家族に残ったのは、その後悔だけでした。
④ 宅食の“習慣”が、予防線になるかもしれない
今思えば、
新しいサービスを受け入れる“慣れ”がなかったことが、一番のハードルでした。
「まだ先のことだから」と後回しにせず、
元気なうちに、一度でも試してみるべきだったなと、今は感じています。
どんなにしっかりしている親でも、
いつかは買い物が大変になり、
以前のようなバランスのとれた食事が難しくなる日が来るかもしれません。
それでも、住み慣れた家で、できるだけ自分らしく暮らしたい──
多くの人がそう願うのではないでしょうか。
その「生活の基盤」を、最後まで支えるのが、
栄養たっぷりの食事であり、
そして、宅配弁当だと私は思うのです。🍱
だからこそ、親が元気なうちに、
- 一緒に資料を集めて、
- 試食して、
- 「これ便利ね」「おかずいっぱいで助かるね」と話しながら、
- 気楽に試してみる。
そんな小さな体験を積み重ねることが、
将来の“大きな安心”につながるのではないかと思います。
週に数回からでもいい。
自分たちに合った宅配弁当を、気軽に取り入れてみる。
いくつかお気に入りの宅食会社を見つけておくだけでも、
「これさえあれば、食事の心配はない」と安心できるようになります。🍱
そんな“宅食体験”が一度でもあったなら、
義母のあの時の選択も、少し違っていたかもしれない──
そんなふうに思わずにはいられません。
食事の固定化を防ぎ、栄養を支える“宅食”。
それを“習慣”として暮らしに取り入れておくことが、
ゆるやかな介護予防になると、私は実感しています。
⑤ まとめ:後悔する前に、できることを
親が元気なうちに、ほんの少し“未来への備え”をしておくこと。
それが、本人にとっても、家族にとっても
大きな安心につながる――。
私は義母の経験から、そんなことを実感しました。
元気なうちに宅食を試して「慣れておく」ことは、
- 将来の食生活の固定化を防ぎ
- 栄養を支える“予防線”となり
- 住み慣れた家で、自分らしく暮らし続けるための支えになります。
まずは一回、お試しからでも。
体験してみるだけでも、きっと安心に近づけるはずです。
介護予防は、元気なうちから。
「まだ早いかな」と思う今だからこそ、
ちょっとだけ――宅食を体験してみませんか?